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哀愁の矢の川峠
「矢の川峠(矢ノ川峠)」と書いて「やのことうげ」と読む。私やのこ小僧も地元尾鷲からいろいろと情報発信しまっせ!  【 このページの文章、写真は無断で転用しないでください。もしご利用される場合ははやのこ小僧までご一報を!】

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明日5月29日(水) 御在所ロープーウェイ山上駅にて「日本初のロープーウェイは矢ノ川安全索道なんです」の認定式があります。

全国のロープウェー業者でロープーウェイカードを作るというお話しがあるので、それに先駆けて「矢ノ川安全索道」のカードを作ることにしました。
とりあえず試作品が出来上がりましたので、早速明日の式典で三重県知事さんにお配りしようと思っております。
これから全国で作られるロープーウェイカードの規格に従って作成しました。
カードナンバーは日本初ということでNO.1。
吉野ロープーウェイが次に古いのでおそらくNO.2になると思います。





「実はそれ、ぜんぶ三重なんです!!」
    ~日本で初めてのロープーウェイは、三重なんです!~


「矢ノ川安全索道」のロープーウェイ発祥地宣言!! 


5月29日は「矢ノ川安全索道」の開業式典の記念日です。
この日に三重県の御在所岳にある御在所ロープーウェイの山上駅で、「矢ノ川安全索道」が日本で最初の旅客ロープーウェイということを宣言しプレート版をロープーウェイ博物館の展示資料コーナーに設置します。

日時 :   平成25年5月29日(水)      午前11時20分~11時40分

場所 :   御在所岳ロープーウェイ山上駅

内容 :   日本初の旅客ロープーウェイ「矢ノ川安全索道」の当時の貴重な写真をはじめとする資料をロープーウェイ博物館の展示コーナーにて公開。  「日本で初めてのロープーウェイは、三重県なんです!」のプレート版を展示資料コーナーに設置。 宣言及び設置は三重県知事 鈴木英敬様が行う。 

出席 :   尾鷲市より市長岩田昭人様、「矢ノ川安全索道」の建設を手掛けた「安全索道㈱」の取締役社長 増井敬様、菰野町より町長石原正敬様、「御在所岳ロープーウェイ㈱」取締役社長 辻孝巳様、「思い出の矢ノ川峠の会」の私たちも招待されました


多くのメディアも取り上げてくれるので、ますます矢の川峠の知名度が上がっていくことでしょう。
平日とあって来客者は少ないともいますが、興味ある方で都合がつけばぜひ御在所ロープーウェイにお越しください。
ずいぶん久しぶりに昭和道を通しで歩いてまいりました。
きっかけは尾鷲出身のYさんがこのブログをご覧になって、ぜひ矢の川峠へ行ってみたいとメールをくれたのがきっかけでした。
最近私たちが活動を始めた「外遊びぷろじぇくと」という何でもありのグループにも声掛けをして、平日にもかかわらず5名で哀愁の矢の川峠を越えてきました。

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新緑の荒れ荒れの昭和道をゆく

この季節は新緑がまぶしくて気持ちいいトレッキングが楽しめました。
天気に恵まれ気温も低かったため暑くもなく寒くもなく快適そのもの。
話も弾みます。
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所々にフジの花が咲く
5人中3人が歩いて峠を越えるのは初めてです。
途中三木里へ続く八十谷林道へ寄って三木里の展望地で一服。
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たいへいよう~!
その後少し林道から下って矢ノ川安全索道の上の駅跡にもよりました。
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遺構を見ながら皆であーだこーだと想像を巡らせます。
まったくもってマニアックな世界が広がります。

さて昭和道に戻りひたすら峠をを目指します。
峠からの展望はこの季節にしてはよく、志摩半島の先端の右横には伊良湖岬まで確認できます。
ゆっくりしてから今度はッ熊野側の廃道に向かって突撃。
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廃道は歴史と生活感を徐々に自然回帰させる
途中にあるこのルート唯一の国鉄バスの遺構、キロポストは見逃してしまいました。
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こんなところも多くのバイクや自転車が越えている
熊野側ルートの中間地点に大きな楓の古木が新緑に包まれ存在感をかもし出していました。
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秋にまた見に来たいですね

いくつもの土砂崩れ跡を乗り越えて、無事車のデポをしておいた大又林道分岐まで歩きとおしました。
皆さん距離は長かったものの数々の遺構や変化のある景色を楽しんでおられました。
18kmほどのロングトレイル、トレラン感覚で走ってもいいですね。
今回は平日だったので次回は日曜日に開催することにしましょう。
昨年の9月、峠茶屋の主 故稲田のぶえさんの息子さん丞さんを峠の茶屋跡にお連れしました。
その時にはあまりお話を聞く時間が無くまた次の機会に、ということでお別れしたのですが、なかなか機会が無く、先日やっと連絡をとって名古屋の丞さんの自宅にお邪魔させていただきました。

ご自宅は東山公園の周辺で非常に静かな住宅街にありました。
すぐそばには未舗装の道や森がある大変環境のいい場所です。
現在も現役で建築設計のお仕事をされていて、もうすぐ80歳になろうというのに、ログハウスの事務所兼趣味の為の建家にはパソコンなども置かれている。
趣味は囲碁や尺八。

最初に丞さんの事を少しお聞きした後、お母様ののぶえさんの事、丞さんが中学、高校、大学と茶屋を手伝ったこと、そしてのぶえさんを尾鷲から引き取り名古屋で一緒に過ごしたことなどをうかがいました。
峠にあった沢山の色紙の話しになった時、その色紙が今はどこに行ったか分からない事を息子さんに伝えたところ、なんとそのうちの一枚、文豪 吉川英治が書き残した色紙がここにあると言うではありませんか。
ビックリした私の目の前に、丞さんは金庫から出してきてその色紙を見せてくれました。


汐の坂 156

昭和25年 吉川英治が「新・平家物語」の執筆取材旅行のために尾鷲を訪れた際、矢ノ川峠を越えている。
このときの様子は「新・平家紀行」に詳述されている


それは吉川英治が峠での思い出の句を、後に色紙に書きつづりそれを尾鷲での宿泊地「五丈旅館」に送ってきた二枚のうちの一枚でした。
色紙の内容は当時峠でのぶえさんと一緒に働いていた、長女弘子さんが娘さんをおぶって対応してくれた時のことを句に書いています。
今まで何度かこの色紙のコピーの展示は行いましたが、まさか現物を丞さんが所有しているとは夢にも思いませんでした。
この他にも矢の川峠で倒木を切ってきて作った花台なども見せていただきました。

汐の坂 158
矢の川峠から高峰山へ通じる登山道を入ると多くの倒木があり、一部を切ってきてこのような花台をよく作ったそうです

食事をご馳走になりいろいろとお話をお聞きして帰路につきました。
丞さん、また何時か尾鷲にもゆっくりとくつろぎに来てください。

先日、ウッドペックにお泊りになった方々と久々に矢の川峠へ行ってきました

今回は昔バイクで何回か矢の川峠を訪れたことのあるIさんが再度思い出の矢の川峠へ訪れたいということなので、私も同行させていただくことに・・
トライアルの仲間たちが4名、Iさん含めて5名が矢の川峠の昭和道入り口でバイクを車から降ろして走り出します。
皆さん旧車や外車のトライアル車ばかり。
私が借り物のXLR250。
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いざ出発

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矢ノ川隧道前で


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三木峠



途中ツララが下がるトンネルなど写真を撮りながらゆっくりと1時間弱で峠に到着。
峠は前日に降った雪がうっすらとあり、気温は0度前後で寒い。
天気は時折日がさす薄曇り状態。
アウディーの小型車が1台止まっている。
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峠にはうっすらと雪も・・


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はしゃいで太平洋バックにウィリーや!


早速集合写真を撮ろうと準備していると、熊野側から3名の登山者の方が登ってくる。
これから高峰山まで登るようです。
で、丁度いいとこにおいでになったので、厚かましくもカメラのシャッター切をお願いする。
登山者の方と話をしていると、車の持ち主がやってきた。
男性一人で、この方も高峰山に登ってきたそうだ。
車は峠を下り、登山の方は高峰に登ってゆきました。

峠の小一時間過ごし、少し熊野側にも行ってみる。
その後峠を後にしてゆっくり下って行く。
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明治道の石畳を下る

所々で止まって写真を撮りながら少し三木里側の林道にも入ってみる。
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八十川林道からの三木里の風景

ゆっくり道をかみしめながら走って、入口のトランポのところまで下りてくる。

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矢の川峠旧道に溶け込むトライアル車 きれい・・ここで皆さんと別れて私は帰路につく。

5人の合計年齢が330歳というのに皆さんお元気な方ばかり。
終始笑いが絶えず、やっぱいつまでもこんな現役ライダーでいたいなッと感じました。