哀愁の矢の川峠
「矢の川峠(矢ノ川峠)」と書いて「やのことうげ」と読む。私やのこ小僧も地元尾鷲からいろいろと情報発信しまっせ!  【 このページの文章、写真は無断で転用しないでください。もしご利用される場合ははやのこ小僧までご一報を!】

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江戸時代 熊野街道《熊野古道》は尾鷲で木本に向かう本街道と、矢の川峠を経て飛鳥、五郷、育生、楊枝を経て直接本宮へ向かう本宮道とに分かれていました。
中世から江戸期にかけて流行った西国巡礼者たちは、伊勢神宮に参拝して一番札所の那智、青岸渡寺に詣でました。
この人たちは殆ど八鬼山道《本街道》を通って木本へと南下して行きましたが、中には尾鷲からいきなり本宮へ行くものもいたようで、その人々は矢の川峠を越えていかなければなりませんでした。


享保六年《1721年》から毎年のように江戸の薬草役人が薬草を求めて、大台ヶ原や尾鷲周辺の山々を探索したようで、その時矢の川峠の南谷、蔭谷などが薬草の宝庫で役人たちは大きな収穫を上げたようです。

紀州藩では砂糖を藩の専売にしており、長島組、相賀組、尾鷲組
の砂糖問屋で売られた砂糖代金は、尾鷲組でまとめられ、矢の川峠を経て、楊枝に合った鉛山役所(カナヤマ)へ届けられました。この金を運ぶ直飛脚には、狼の出没に備え常に2人~3人の付き人を付けました。

矢の川峠の尾鷲側の江戸道ルートは、南谷と蔭谷との出会いから蔭谷をさかのぼり、伝唐超を真っ直ぐ峠へ上るものでした。

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コメント
この記事へのコメント
こちらこそ、
紀南林道ホイホイ倶楽部の代表です。(代表と言っても勝手にホームページ立ち上げているだけ)

こちらこそ、書き込みありがとうございました。

紀伊半島南部の林道かなり走りまだ残っている所も有りますが、旧矢の川峠は、何度も行ってみたい所ですね。まさしく「哀愁の・・・」が、ピッタリです。
それと「道」見てみたいです。DVDに変換などしていないのでしょうか?写真も一緒に!

又、いろいろと教えてください。
DEWA
2008/10/19(日) 09:33:09 | URL | 紀南林道ホイホイ倶楽部 #-[ 編集]
こんにちは
初めて書き込みます。いつも拝見しております。これからも遊びにきますね。
2008/10/25(土) 05:29:41 | URL | hana #-[ 編集]
こんにちは
初めて書き込みます。ちょくちょく見に来てます。また遊びにきます。
2008/10/27(月) 15:54:53 | URL | 久美 #-[ 編集]
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