哀愁の矢の川峠
「矢の川峠(矢ノ川峠)」と書いて「やのことうげ」と読む。私やのこ小僧も地元尾鷲からいろいろと情報発信しまっせ!  【 このページの文章、写真は無断で転用しないでください。もしご利用される場合ははやのこ小僧までご一報を!】

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矢の川峠には、昭和11年の昭和道開通とともに何件かの茶屋が立てられました。
そのうち峠の茶屋は、標高807mの高さからくる絶好の景観と、この地域随一の酷道の最高地点という立地の為、越える者はみなひと時の休憩を楽しんだものでした。

実はこの峠の茶屋にも、大きく分けて三つの時代がありました。
一代目は峠から尾鷲側に20m~30mほど行ったところの山側。
10坪程度の建物の基礎跡があります。
二代目は、有名な峠のおばさん稲田のぶえさんのお母さん、南ひさのさんが営んでいました。
この茶屋は、峠の広場の尾鷲側石垣の左端の位置にありました。
owase-hagaki0033x.jpg

そして三代目の峠茶屋が、稲田のぶえさんが営んでいたあの峠茶屋です。
20070909062141.jpg


初代の茶屋の話はまた改めてお話しするとして、今回は稲田さんがこよなく愛し守ってきた、三代目矢の川峠の茶屋の話です。

次回は茶屋の始まりから省営バスが廃止された昭和34年頃の想いを書いた、伸江さんの手記を掲載します。


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