哀愁の矢の川峠
「矢の川峠(矢ノ川峠)」と書いて「やのことうげ」と読む。私やのこ小僧も地元尾鷲からいろいろと情報発信しまっせ!  【 このページの文章、写真は無断で転用しないでください。もしご利用される場合ははやのこ小僧までご一報を!】

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江戸時代

徳川時代初頭
那智より先に本宮へ向かう参拝者が主として通った

享保11年(1726)
幕府の薬草調査役人が越えた


明治時代

3年、(1870) 2月
浦上キリシタン宗徒32名が、奥熊野へ流刑され、矢の川峠を越え、尾鷲相賀、長島の各組へ6人割り当てられる。

13年(1880) 3月1日
松坂より矢の川峠を越え南牟婁郡御船村に至る熊野街道を一等道路に格付けし県支弁道路に編入する。 (第一次改修)

18年(1885) 4月5
三重県知事石井邦酖氏が、尾鷲地域(南北牟婁郡)の熊野街道を車道改修のため視察し、直ちに工事着手される。尾鷲―相賀間は、天狗倉山の半島を一周するコースで渡鹿-水地―天満を経由して北川橋に(明治19年4月着工)、尾鷲―木本間は二ッ木屋―大橋―小坪―矢の川峠経由の全線トンネルのないルートとなる。

19年(1881) 4月矢の川峠 新熊野街道着工

21年(1888) 5月2日
矢の浜―二ツ木屋―大橋―七曲りー小坪―矢の川峠の経路で車道として完成する。

43年(1910) 2月
歩兵第51連隊の一部が矢の川峠を経て尾鷲に入り伊勢に向かう。

大正時代

5年(1916)
紀州自動車株式会社が設立

9年(1920)
尾鷲自動車株式会社が設立

10年(1921) 8月
尾鷲自動車〔株〕が矢の川峠道を拡張するため、町有土地を無償提供する。

11年(1922) 7月
尾鷲自動車〔株〕は尾鷲―木本間の定期運行を開始する。〔危険のため夏期のみ運転〕

12年(1923) 6月
矢の川峠道路視察のため柴田知事が来町する。

    7月県道尾鷲―木本間の第二次改修で柴田善三郎三重県知事は、矢の川峠道路視察のため来町する。

13年(1924) 6月9日
紀州自動車株式会社と尾鷲自動車株式会社が合併、紀伊自動車株式会社となる。(本社尾鷲北浦)当初6人乗りフォード10台所有、尾鷲ー熊野間1日2便(4月から10月のみ運行)

15年(1926)
紀伊自動車株式会社の所有車両フォード31台

昭和時代

2年 1月
矢の川峠安全索道敷設工事着工。(大橋ー小坪間1185m)

5月
矢の川峠安全索道敷設工事完成。(標高差479m、敷設費用7万円)2人乗りで1時間で上下40人を輸送した。

9年(1934) 9月24日
県道 津―木本線、熊野街道第二次改修矢の川道路開さく工事(二ッ木屋-南谷-小坪―小坪トンネル上―矢の川峠)起工する。

12月19日
紀勢東線が尾鷲駅まで開通
矢の川峠第二次改修始まる。南谷回りの旧道着工
11年(1936) 10月
矢の川峠南谷回りの旧道完成 工費60万円
矢の川峠明治道及び安全索道は廃止される


10月16日
省営(国鉄)バス 尾鷲―木本間(45km)が開通し、紀南線と呼ばれる。これにより乗り物で紀伊半島一巡できるようになる。(1日に4本、所要時間2時間45分)

15年(1940) 3月
県道津―木本線矢の川峠開削を記念し、矢の川南谷に、「矢の川峠開削記念碑」を設立する。(29代、三重県知事廣瀬久忠書)

19年
紀伊自動車株式会社は三重交通株式会社に統合

23年 夏
矢の川峠茶屋開店 稲田のぶへさんと娘さんが造る 紀勢本線全通記念特集(日本国有鉄道岐阜工事局)P85

25年(1950) 12月11日
吉川英治「新平家物語」の取材旅行で、杉本健吉とともに来鷲。 「日本の風土記 志摩、熊野時」
五丈旅館に宿泊、太田町長や婦人会のおもてなしを受け、町長「尾鷲節」を披露、宿で「海明かり障子のうちの水仙花」など詠む。翌日車で矢の川峠を越える。峠の茶屋で、「茶売女の乳も涸れがてよ冬の山」等読む

27年(1952)
この年菊田一夫氏作「さくらんぼ大将」がNHKから放映され、その中で尾鷲の風景(矢の川峠、中村山、ぶり)が数回にわたり紹介される。

29年(1954) 10月29日
鉄道工事向井飯場の作業員が、矢の川峠の飲食店に侵入し強盗傷害事件おこす。

34年(1959)  6月27,28,29日
土木事務所が尾鷲トンネル南口と矢の川峠で、3昼夜ぶっ通しで交通量調査を行なう。
紀勢本線全通前とその後での資料を作るためと、日に100台以上の交通量があれば災害時に流された木橋を復旧する場合、永久橋を架けることができるため。

(三日間の平均)
尾鷲トンネル南口がオートバイ5台、オート三輪7台、小型乗用車27台、普通34台、バス49台、小型貨物自動車107台、普通8台、大型83台、自転車17台、歩行者12人、オート三輪以上の車が180.3台。
矢の川峠がオートバイ96台、オート三輪61台、小型乗用車15台、普通12台、バス20台、小型貨物自動車49台、普通20台、大型58台、自転車1台、歩行者1人、オート三輪以上の車が169.3台

7月14日
昭和11年より23年間無事故を誇った矢の川越え紀南国鉄バスが廃止される。

7月15日
紀勢線全通 賀田駅ー二木島駅間開通

38年(1963) 4月10日
朝日新聞ーS380410 この日付記事に「トンネル3つ作る/国道42号線新道路来年度から着工/矢の川峠難所の悩み解消へ/=(昭和37年11月から地質調査、航空調査を進めていたが39年度から着工する予定) 

40年(1965) 11月
国道42号線尾鷲トンネル(海山ー尾鷲間)竣工開通し、12月矢の川峠改修に着工する。

44年 4月6日
新矢の川峠改築工事竣工 総工費約30億円 尾鷲ー熊野間は2時間45分から45分に短縮される
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