哀愁の矢の川峠
「矢の川峠(矢ノ川峠)」と書いて「やのことうげ」と読む。私やのこ小僧も地元尾鷲からいろいろと情報発信しまっせ!  【 このページの文章、写真は無断で転用しないでください。もしご利用される場合ははやのこ小僧までご一報を!】

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1927年、昭和2年5月に矢の川安全索道が架設されました。
この旅客索道は、尾鷲の二つ木屋地区の大橋のたもとから頂上小坪駅まで全長1,185m、標高差479m、支柱9基、電動機は東京芝浦製作所製の200V電気モーター方式で、20馬力の出力がありました。
運行速度は時速約4.5km/h。旅客用二人乗りゴンドラは当初8台、貨物用が2台。営業成績が好調だったためのちに25台に増強されました。
布設工事の経費は約7万円を要しました。


ゴンドラは赤と白がありました。
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麓の駅「大橋」(現在の尾鷲プレカット工場)、手前の道は明治二十一年にできた明治道です。
この大橋という地名は、駅手前にあった矢の川大橋から由来していると思います。
現在はコンクリートの立派な橋ですが,当時の写真から見ると木造の橋のようです。
現在の橋の下に昔の橋の残骸がありますが、コンクリートとワイヤーが散乱しています。
強度の関係でワイヤーで吊っていたのでしょうか?
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昭和9年12月号の全国版時刻表によると、乗合自動車の接続に応じて1日3便の運転となっており、所要時間は30分で料金は30銭だった。
乗合自動車の連絡時間以外にも、電力会社に頼んで動かしてもらうことがありました。
当時の電力事情はよくなく、しばしば停電によりゴンドラが停止することがありました。
その場合現在のように外部との連絡ができるわけもなく、ひたすらゴンドラが動き出すのを待つしかありませんでした。

ゴンドラは鉄板1枚で作られており、2人が向かい合って座るだけのスペースがある狭いものでした。
係員は夫婦以外の男女は決して一緒に乗せなかったようです。
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単線自動循環式を採用しており、これは1本の支曳索に一定の間隔で搬器がぶら下がる方式で、停留場内では搬器はロープから分離する。
したがって乗客の乗降は、搬器を停止させるか微速で進行させながら行われ、停留場間の搬器の速度には影響しません。
ゴンドラは2人乗りで、6分間隔に送り出され1時間で上下40人を輸送しました。

国内は元より世界でも単線自動循環式を旅客索道に用いたのは、矢の川峠が初めてとされています。
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写真は乗降所の様子です。

ただし、当時の索道は県による監督下におかれており、その後、法整備が行われ国の許認可が必要となるとこの方式による普通索道は認められなくなりました。

矢ノ川安全索道は観光用ではなく、旅客索道でした。
明治道が急峻で整備が不十分なため、また冬季は凍結により危険な為、もっとも急峻な区間において乗合自動車代行を行うために架設されました。
前後の区間は民間乗合バスが接続するという公共交通機関としての索道でした。
後に、国道が整備され、鉄道省営バスの運行が始まったために廃止されました。

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2008/12/29(月) 18:58:21 | | #[ 編集]
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