哀愁の矢の川峠
「矢の川峠(矢ノ川峠)」と書いて「やのことうげ」と読む。私やのこ小僧も地元尾鷲からいろいろと情報発信しまっせ!  【 このページの文章、写真は無断で転用しないでください。もしご利用される場合ははやのこ小僧までご一報を!】

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この資料は、私が行なっている矢の川峠のツアー『哀愁の矢の川峠」で配布したものです。



昭和に入って尾鷲と熊野の間は乗合自動車と安全索道で結ばれましたが、荷物と人の大量輸送には今だ対応できませんでした。

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矢ノ川安全索道、大橋駅(下の駅

時代は戦争色が濃くなり、本土防衛上からも紀伊半島は重要な地域とされ、有事の時のために矢の川峠の道路改修は早急に実現しなければなりませんでした。

そこで矢の川峠尾鷲側に7、766mの新たなるルートで昭和道の開鑿案が持ち上がりました。昭和9年、安全索道の上下駅に近い大橋と小坪の間で、トンネル5カ所を含む新ルートの開鑿に着工しました。工事は株式会社間組が行いましたが、難工を極め4名の殉死者と二百数十名の負傷者を出しました。昭和11年9月、この新道の開通で、大型トラックやバスの通行が可能となり、物資や人の大量輸送の時代に突入しました。
矢ノ川隧道 建設当時
ループ式の矢ノ川トンネル
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開削当時、道の周辺は木々が伐採され見通しが良く、バスの乗客は絶景と転落の恐怖を交互に味わったようです

この昭和道開鑿の偉業をたたえ、昭和15年3月紅葉橋そばの一番難工事に苦しんだ南谷の石壁の傍に「矢ノ川峠開鑿記念碑」が建てられました。この石壁工事で犠牲者が出た為、慰霊碑をかねてここに建設したのではないのでしょうか。

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南谷石壁の難工事場所

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この碑の書体は第29代三重県官選知事、廣瀬久忠氏のものです



【矢の川峠昭和道開鑿工事概要】

着工 昭和9年9月13日      竣工 昭和11年9月13日
工費 58万円
新開鑿延長 7,766m     有効幅員 3.5m
橋梁    16ヶ所(91m)  隧道   5ヶ所(202m)
道路拡張延長 18,828m
新鑿部平均勾配19分の1     最大勾配15分の1 カーブ最小半径12m
使用火薬 28,455kg
工事延べ人数(新鑿部、道路拡張部合計) 283,340人
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