哀愁の矢の川峠
「矢の川峠(矢ノ川峠)」と書いて「やのことうげ」と読む。私やのこ小僧も地元尾鷲からいろいろと情報発信しまっせ!  【 このページの文章、写真は無断で転用しないでください。もしご利用される場合ははやのこ小僧までご一報を!】

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”稲田のぶへさんの写真”もいよいよ最終回になりました。
これまでに公開したもの以外にもまだまだ写真はあるのですが、特に当時の風俗や稲田さんの人柄などが出ている写真を選んだつもりです。

 4屋根から
見晴台より
看板は尾鷲駅前に今でもある「胡蝶館」のもの。「胡蝶館」は食堂を営んでいましたが、現在はビジネスホテルになっています。
横に「いしや食堂」と書かれてますが、この食堂がどこなのかは分かりません。
この看板の支柱にある小さな看板には、右に「キッコーマンソース」、左に「岡三証券の投資信託」とある。
この峠にこんな大きな企業の看板があると言うことに驚いてしまいます。

ラジオ録音
ラジオの録音風景
稲田さんはラジオやテレビにも出演しています。
この時のラジオ局などは分かりませんが、テレビには昭和51年9月27日にNHK総合で、「三重の百年」「矢ノ川峠特集」と題して尾鷲市史などを手がけた当時尾鷲郷土資料館の館長、伊藤良さんとともに出演しております。


バス見送り1959.7.14

見送り
紀南線最終バスを見送る稲田さん
動画などにも残っている稲田さんが最終バスを見送る場面です。
昭和34年7月14日紀勢線全通の前日、尾鷲行の最終バスを最後に、省営バス(国鉄バス)紀南線の歴史は幕を閉じました。
峠の茶屋も閉店しますが、その後少し改装をして営業を再開します。
壁や屋根は杉の皮葺からトタンになりました。
晩年の稲田さん
改装し茶屋の前で、数少ない稲田さんのカラー写真

しかし稲田さんも高齢になり省営バス廃止に伴いお客さんも減り、間もなく峠茶屋は閉店となります。
その後娘さん夫婦が茶屋を引き継ぎますが、稲田さんは尾鷲市内の中川のそばに「矢の川食堂」を営みます。
矢ノ川食堂で
火力発電所建設に伴い繁盛した「矢の川食堂」

食堂は中電の火力発電所建設が終了するまで繁盛しその後工事終了とともに閉店しました。

以上で稲田さんの写真シリーズはお終いです。
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