哀愁の矢の川峠
「矢の川峠(矢ノ川峠)」と書いて「やのことうげ」と読む。私やのこ小僧も地元尾鷲からいろいろと情報発信しまっせ!  【 このページの文章、写真は無断で転用しないでください。もしご利用される場合ははやのこ小僧までご一報を!】

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前回に続いて峠の主、稲田のぶえさんの写真をアップします。

看板林立
峠の看板とバイクの人

広場の山手にはたくさんの看板が乱立していました。
この写真には勝浦の温泉旅館「勝良荘」、尾鷲駅前の「丸福食堂」と「丸平食堂」、「尾鷲ゴム工業」の看板が写っている。
丸福の看板には、おかみさんが考えた「をわし駅より十歩」のコメントが読み取れます。
「をわし駅」と書いていることから、看板の設置時期は尾鷲が市になる前、また駅名が「おわせ」になる前ということで、昭和26年以前と思われます。
左後ろに「尾鷲市」の標識見えます。
バイクはヤマハYD-1、1957年発売、ヤマハ初の2気筒エンジンを搭載した250ccのスポーツバイク。
もう一台の右のバイクはヤマハのYC-1,1956年かな??
この事により、撮影時期は昭和32年頃と思われます。

三銀社長松田 宏子 茂士
第三相互銀行の松田社長、長女宏子さんと

第三相互銀行は当時熊野にほんてんがありました。
現在は第三銀行になり、松阪に本店を移しています。
右がのぶえさん、左が長女宏子さん。
吉川英治の書いた紀行文に出てくる峠の茶屋の女性は宏子さんです。


運転手 倉田さん
国鉄バス職員と・・

茶屋の中でバスの休憩時間に職員と話すのぶえさん。
奥の壁には峠を越えた方々の色紙が見える。
車掌の肩から掛けられているがま口には公金が入っている為、肌身離さず持っていた。
胸には燕マークのワッペンが見える。

電源の人2
電源開発の方々と・・・

写真のコメントに「電源の人」とありますので、おそらく池原ダムなどの工事関係者ではないでしょうか。
皆さんスニーカー、地下足袋、ブーツ、そして作業着やワイシャツにネクタイなど、まったくバラバラのファッションが面白いです。
軍手は皆さんはめてます。
後ろの石垣はしっかりと人の腰下の高さまでありますが、現在は30cmほどしかありません。
右下に「カバヤの菓子」と書いたダンボールが見えます。
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