哀愁の矢の川峠
「矢の川峠(矢ノ川峠)」と書いて「やのことうげ」と読む。私やのこ小僧も地元尾鷲からいろいろと情報発信しまっせ!  【 このページの文章、写真は無断で転用しないでください。もしご利用される場合ははやのこ小僧までご一報を!】

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22日、天気にも恵まれてデンガラ越えを無事踏破してきました。

矢の川トンネルのダクト装置の横に車を止め、スタート。
矢の川本流に下りて沢歩き・・
少し行くと幻の瀧、やのこ大滝【仮称】が見えてくる。
この滝は地図で予想yしていた位置とピッタシ同じところにありました。
DSCF4987.jpg


そこから滝を捲くため右斜面の小さい沢を直登。
すぐに昭和道の第2トンネルと第3トンネルの間に出る。
第3トンネルを過ぎすぐデンガラ大橋にたどり着く。
ここで橋左側から上流に向かって遡行を始める。
すぐに右の沢に入りひたすら登る・・登る・・
ず~と上に、こんなところまで・・と思うところに堰堤が作られている。
堰堤は確か6つあったように記憶しているが,しっかりカウントしなかった為、定かではない。
DSCF5002.jpg
堰堤についているプレートには昭和39年の文字が刻まれている。
DSCF5001.jpg

最後の堰堤を乗り越えてから左へルートをとり,ガレ場を登っていくとやがて峠の石垣が見えてくる。
いきなり峠の広場に到着したので、いつもと違い「あ~ここまで登ってきたのだな~」と言う実感がわく。下には朝出発したトンネルの入り口が見える。

すごしお疲れの様子・・・
DSCF5013.jpg

峠でしばし食事休憩。
Sさんがさっき取ったマムシで遊んでいる。
DSCF5012.jpg


これから熊野側への道のりは沢沿いに下る私とKさん、そして作業道を下るSさんたちとの2グループに分かれる。
この沢を江戸時代、本宮への参詣者や、飛脚などさまざまな人々が下りそして上ってきたのかと思うと、ただの暗い沢も歴史ある道に見えてくる。
DSCF5014.jpg
DSCF5017.jpg

沢も大又川本流に合流する少し前、遥か上の昭和道から転落した、トラックの残骸が散乱している。
まずタイヤが付いたままのデフが見えてきて、その後シャーシや荷台の一部などがところどころに半分埋もれて当時の事故のすさまじさを物語る。
最後にエンジンが単体で横になり埋もれている。
このトラックを運転していた二人の方は、ある年の大晦日の夜に悲劇にあったのだそうです。

ここでさっき分かれたメンバーらと合流。
やっぱこういう時にトランシーバーは役に立つ。
さて大又川本流に出てからは、立派な林道があるため今回はその道を使って
昭和道合流地点まで向かう。
そこに朝持ってきているわたしのワゴンがあるので、そこからは尾鷲側
トンネル入り口までの約8kmを約8分で戻る。
今回写真など取りながら、また休憩をたっぷり取り入れたためデンガラ越えに
7時間近くもかかりました。
それが今の道で車を使うと多々8分なのです。
みんな無事に帰れてよかった、お疲れさんです。
次回はしっかりと記録をとりながら、歩いてみようと思います。
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先日本業の焼き鳥屋に、「どう見ても登山やろ」って格好で少し疲れた様子の若者が一人やってきた。私も昔は60Lのリュック担いで一人で山をうろうろしていたので、その装備を見ればただの古道歩きなどのトレッキングではないことはすぐに分った。
どっか山でも行ってきたのかと聞いてみると、松阪から来たという。でもこの装備はテントシュラフ持ちだ。何泊かしながら歩いているのかと思いきや、今日朝出てきたと言う。それも熊野古道を全て走破してきたとの事。
松阪から尾鷲まで、国道42号を使って90km。
古道経由できたらおそらく100kmにはなると思う。
何時間できたのか聞いてみると、「19時間です」っとまるでいつも歩いているような顔でさらっと答えてくれた。
2009_0407哀愁の矢の川峠0029

まあなんと強靭な体力なんでしょう。
聞いてみると私が住んでいた松阪河井町の自宅のすぐそばのうどん屋で働いているとの事。
今日はちょっと疲れたので汽車で帰ろうとしたけど最終がでたあとなので尾鷲で泊まるようです。
明日は帰らずまた熊野方面に・・・・ 
と言っていたのですが、さてどこまで行ったのでしょうか?

・・・・・・ っと店でこの記事を書いていると ・・ なんとそのゆうくんが今まさに松阪からやってきました。
なんという偶然・・
今日は汽車できて、明日御浜くらいまで歩き、明後日那智まで行く予定だそうです。
少し矢の川峠のことで盛り上がり、その後水晶の話で盛り上がり、彼は本日の寝床へと消えていきました。
今度は奥さんと一緒に矢の川峠に行きましょう

さて明日は以前から計画していたデンガラ越えに挑戦です。
女性が4人とだんせい2人、計4人です。
昨日まで相当降水があった為、沢の渡りが心配です。
また報告します。
第3回「哀愁の矢の川峠」開催!

3月29日のツアーが無事終わり,第2回目の「哀愁の矢の川峠」が19日に開催予定です。
ところが今回尾鷲以外の方からの問い合わせがあり、また元省営バスの職員の方の参加希望があるため、5月に再度ツアーを開催することになりました。
今回は「紀伊半島みる観る探検隊」主催ではなく私個人の開催となります。
内容はまったく同じで熊野古道センターでのトークの後で現地を案内します。
今回も車1台のみで開催予定ですので、募集人数は3名のみです。【すでに3名決まっているため】


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【ツアー内容】

まず熊野古道センターで、30分ほどのパネルトークにて矢の川峠の全てを予習。
その後車で移動し史跡の数々を探訪します。

参詣道や生活道でありながら裏街道の要素が濃く、日の目を見なかった矢の川峠越えの道は、明治に入り突如としてこの地域の将来を背負う主要道になりました。
日本初の旅客ロープウェイ「安全索道」が造られるなど、明治、大正、昭和と激動の時代とともに変貌し続け、人と物資の大量輸送の道へと変化する中、人も自転車もバスやトラックまでもが標高808mの「やなこ」を越えていきました。
昭和に入ってから運行された省営バス(国鉄バス)は、紀勢線全通までの23年間に、述べ1,200万人もの人々を輸送したそうです。
ある人は「この地に立つのも最後だろう」と思いながら出兵し、ある人は新婚旅行の途中でこれからの幸せを夢見て記念写真を撮る。静かな峠にたたずみ、人々はさまざまな想いを抱きながら次への目的地へ旅立ちました。矢の川峠は一時代を担い、そして今、役目を終えて人々から忘れられていく運命なのです。
そんな「やなこ」に立ったとき、皆さんはどのように感じられるでしょうか?


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日  時: 平成21年5月10日(日)※荒天延期
9:00集合、15:30頃解散
集合場所: 三重県立熊野古道センターフロアー

案 内 人: やのこ小僧こと福田 晃久
参 加 費: 1,800円(保険代、諸経費含む)
募集人数: すでに3名の方がき決まっている為残り3名となります
持 ち 物: 弁当、飲み物、雨具、帽子、手袋など

      
※ 最少催行人数は4名となります。前日までにキャンセルなどで4名に満たない場合は延期、または中止となる場合がありますのでご了承下さい。

お問い合わせ、申し込みは・・・・・・
福田晃久まで直接連絡お願いします
遠方の方は私のやっているコテージウッドペックに宿泊できます。
食事付き(鳥丼湯豆腐セット)で一泊、5,000円です。
お風呂は尾鷲の夜景がよく見えてすっごく広いですぅ~

やのこ小僧こと福田 晃久 
携帯 080-3648ー5499
メール tud5thma@ztv.ne.jp
以前、索道下の駅付近からの明治道の取り付きが発見されたことは書きましたが、今回その場所から上へ道をたどってみました。
写真のようにはっきりと道路の両端にに石が並べられていてここが明治道だと分る。
めじゃーで計ってみると、ならべられている石の内側でちょうど3mあります。
有効幅員2m7~80cmってとこでしょうか?
P4080158.jpg
途中からは藪がひどくなり、今回始めて持参した剪定ばさみがフル稼働します。
私の両腕もフル稼働。 時には地面にはいつくばっての草刈はしんどいです。
P4080162.jpg
時々藪がひどく谷側の石垣のそばしか通れなくて苦労すます。
P4080171.jpg

おまけに道のまんなかには鹿の侵入を防ぐ為のフェンスが張られている。
今のフェンスはネットですが、ここ古いものは針金でできた金網なんです。
その金網を支える杭を固定する為に、横に針金を伸ばして地面に固定しているいる為これがトラップとして働き、何度も足をとられてしまいました。
2時間半行ったところでギブアップして、上の林道にエスケイプしました。
地図で確認したところ、約3分の1ほどのところでした。
以前上から探索したとき約半分まで来てますので、残り約6分の1。
おそらくあと1時間ほどでいける距離ではないかと思います。
今回は草刈、枝払いに相当時間を費やしましたので、走破するだけでしたら上から全工程3時間から3時間半と言ったところでしょうか。
途中国道42号線がよく見える地点から写真の1枚。
P4080166.jpg



矢の川峠周辺の地図です。
これを見るとお分かりのように、明治道は尾鷲から少し矢の川をさかのぼった所で矢の川大橋を渡り、矢の川の左側の斜面を急登して小坪付近の矢の川隧道出口にて昭和道と合流するようになっています。
その先は矢の川峠を経て熊野に至るまで、明治道を拡張して昭和道として使いました。
現在のトンネル付近の標高が400mほど。
峠が807m(808mと記載されている文献もある)なので冬は昼間でも0度前後で、一度雪が降ると北斜面などでは凍結して大変通行が困難になりました。
地図には書かれておりませんが、矢の川をさかのぼって、谷沿いに矢の川峠に達する道が、明治始めまで使用されていたデンガラ越えの道です。峠から熊野側は大又側に沿って谷を下っていく道でした。このルートが徒歩で峠を越えるには最短で短時間で行くことができました。

矢の川峠新旧マップ
今年7月15日は紀勢線全通50周年。
9月24日私の50周年、9月26日は伊勢湾台風50周年。
来年1月には映画「道」撮影50周年、チリ津波も来年で50周年やなぁ~
記念日目白押しです~

今日尾鷲駅の駅長さんとお会いしてきました。
JR東海全体のイベント以外でも、各駅などでの小さい催し物をやりたいとの事。
尾鷲駅では展示物を探しているようなので、私の持っている駅開業当時の写真や全通時の写真,郵便記念帳,あと観光案内で珍しい紀勢東線、紀勢中線,紀勢西線の載っているものなど提供してきました。
逆にJR東海の記念列車に乗務員が使う当時の制服を探しているとの事で、もし情報があれば教えてください、と言われました。
誰か持ってないですか~?

昔の国鉄のシンボルと言えば,機関車の動輪のマーク!
今のJRの中ではこの動輪マークを使っているのはJR東海だけって知ってましたか?
今度JR に乗るときには、職員さんの帽子と制服に注目してみてください。
やのことはかんけいありませんが・・・

3月初旬、トンネル工事行って見やへん?って連絡もらい、即答で行きます!
って事で朝、紀北町海山区の高丸山のトンネル入り口集合。
みんなヘルメットかぶって、特に注意事項もだらだら聞かされること無く、泥だらけの高級車エスティマに乗り込み出発。

このトンネルは、飛島建設が手掛ける近畿自動車道紀勢線の高丸山の下を貫くもので、延長が2,607m、新直轄区間 の尾鷲IC(仮称)から海山IC(仮称)の間にあります。
私が見学に行った時点で約1,600mがすでに掘られていました。

トンネル内は未舗装で、内部の湿気と湧き水でどろどろ状態。
長靴履いてくりゃ良かったぁ~
 
2009_0304高丸山トンネル0014
トンネルの掘削地点まで数百メートルのところで車から降り歩きます。
2009_0304高丸山トンネル0006

20㌧ダンプやコンクリーをトンネル内部に吹き付ける特殊車両など、なかなか見所あり。
トンネル側面にはレーザー照準気があり、トンネルの掘削方向をこれで位置決めしていきます。
2009_0304高丸山トンネル0007
2009_0304高丸山トンネル0008

先端には一度にたくさんの穴を開ける掘削機があり、この穴にダイナマイトをセットします。
このときはすでに100kgのダイナマイトがセット済み。
1度の発破で1.5mほど掘れるそうです。
2009_0304高丸山トンネル0013
「さー そろそろ発破かけますから逃げましょう」との事で、エスティマに乗り込みユーターン。
えらいスピードを出しながら走ると思ったら、その次の瞬間、「ドドッドーン]という轟音と共に爆風が・・
運転していた飛島建設の人曰く「アー 逃げ遅れましたねぇ~」
これは見学者を驚かすパフォーマンスなのか、それとも本当に逃げ遅れたのか・・
あえてそこんとこは聞きませんでしたが・・
なかなか貴重な体験でした。
でも発破かける場所から300mほどのところにトラックや、軽トラなど止まっていたのですがガラス割れないのか聞いてみると、「よく割れますよ」と一言。
うーん 車のガラスの1枚や2枚は工事の費用から行ったらスズメの涙なのですかねぇ。

このときの写真は「飛島建設高丸山トンネル作業所」のHPにアップされています。=>http://takamaru.10x.in/index.html
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