哀愁の矢の川峠
「矢の川峠(矢ノ川峠)」と書いて「やのことうげ」と読む。私やのこ小僧も地元尾鷲からいろいろと情報発信しまっせ!  【 このページの文章、写真は無断で転用しないでください。もしご利用される場合ははやのこ小僧までご一報を!】

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矢の川峠を語るには、やはり近代にかけて熊野街道がどう変化していったかということを知ってもらわないといけません。
この資料は矢の川峠のツアーイベントで配布したものです。
これを読んでもらえれば熊野街道の大まかな遍歴が分ってもらえると思います。

熊野街道の遍歴

遥か昔、この地方の浦村をつなぐ生活道としての峠道は、いつしか信仰の道として次第に整備されていきました。特に江戸期には熊野古道伊勢路として多くの人々が利用しました。

江戸から明治に時代が変わると、人や馬の通行から荷車や牛車の通行へと、道の目的が変化していきます。そこで明治18年頃から、この地方で熊野街道の第一次改修が行なわれます。
荷車道として幅員が6尺(1.8m)から9尺(2.7m)に広げられ、勾配の少ない道としたため、場所によっては旧街道より距離が大幅に長くなりました。
相賀~尾鷲間は半島を回りこむ猪鼻水平道《通称》に、尾鷲~木本間は矢の川大橋―七曲りー小坪ー矢の川峠―飛鳥―評議峠―木本への道《明治道》になりました。

その後明治後半になると、物資の大量輸送の需要が高まり、自動車道としての熊野街道改修の必要性が出てきました。大正6年4月、紀伊長島~尾鷲間の二次改修が竣工し、幅員は自動車道として12尺(3.6m)に広げられました。これにより尾鷲以北で乗合自動車の運行が始まります。その後尾鷲~木本間でも明治道の幅員を拡張し乗合自動車の運行が始まりますが、矢の川峠越えの悪路のため、1日2便、夏季のみの運行となりました。
昭和2年矢の川峠の一番の難所、大橋~七曲り~小坪間に、矢の川安全索道が開通しました。これにより通期にわたって、尾鷲~木本間を定期で乗合自動車と安全索道を乗り継いで通行ができるようになりました。しかしこの時点で矢の川峠は、今だ大型トラックやバスの通行ができず、この地方の経済の発展を妨げる要因となっていました。

昭和9年ついに熊野街道、矢の川峠の二次改が修始まります。
難工事を経て昭和11年10月南谷経由の新熊野街道《昭和道》が竣工しました。すでに開業した尾鷲駅と上木本間を、省営バス紀南線が運行を始め、小荷物等の輸送も省営トラックにより始まりました。この昭和道は明治道と比べると幅員が広くコーナーも緩く設計されており、かなり大型のトラックなども通れるようになりました。また通期にわたって安定した通行が可能となり、このことは地元産業の発展に大きく影響を与えることになります。
昭和34年7月紀勢線全通とともに国鉄バス紀南線は廃止されますが、その後も昭和道はしばらくの間、全ての車の通行を引き受けることになります。
しかし今だ未舗装で標高807mの峠を越える昭和道は、東紀州尾鷲-熊野間の交通の難所でありました。
昭和40年12月、長大なトンネル2ヶ所を含む、昭和新道大改修工事が始まります。
工事は昼夜にわたり続行され、昭和43年4月6日竣工祝賀会が行われ開通しました。この工事は南谷入り口から大又まで、3箇所のトンネルと複数の橋梁によりつなぎ、標高を矢の川峠より約400m低いところを通し幅員7m、2車線、完全舗装路になったため、熊野尾鷲間が2時間45分から40分ほどに短縮されました。
現在高速紀勢自動車道の工事が進行しておりますが、平成25年完成の後は尾鷲~熊野間は20分ほどで結ばれる予定です。
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久しぶりの書き込みです・・

3月に入ってから、少し暇になるかなぁ~  なんて思っていたのですが、急に野暮用が入ったり、矢の川峠の本の聞き取り調査や原稿書きが時間かかったりで、気が付くと「哀愁の矢の川峠」のイベントが迫っていてさあ大変!
日々仕事の合間に今まで集めてある資料の整理と、イベント用の資料作成、パネルトーク用の原稿作りと大忙し・・
昨日イベント当日の4時間前になんとか無事完成!
ほとんどうたた寝しただけで熊野古道センターの集合場所へ。

私のとっては今回は初めてのイベントガイド・・・
何とか終了しましたが、ちょっとマニアックすぎたかな~ なんて思うほど濃い内容になってしまいました。 話していると自分のレベルでついつい話してしまうので、次回はこの辺を少し気を付けたいと思います。
とにかく天気もよく毎週矢の川峠に徒歩で登っているxxさん【名前忘れてしまいました,ごめんなさい】にも会えたし、バイク1台、スクーター1台にも出会えました。
参加者の皆様 お疲れ様! ありがとうございました。
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次回の開催は、4月19日【日曜日】です。
このツアー定員は、昨日のツアーに参加できなかった方でもう埋まっているので募集はいたしませんのでご了承くださいませ。

さて今回のイベントの為に作成しました資料ですが、なかなか自分でも良くできてるかなぁ~なんて思っておりますので、随時公開していきたいと思っております。ただ一部は紀勢線50周年を記念して現在作成中の矢の川峠の本【7月頃発刊の予定】に載せる内容のものもあるので、その資料に関しましては本の発行が終了してから。このブログに公開しようと思っております。
7月発刊の本に関しましては、近いうちに内容など発表しますが、このブログでも予約を受け付ける予定です。
以前の明治道探索で、猛烈な藪に阻まれて引き返してからもう1年3ヶ月が過ぎました。
全工程の50パーセント以上は確認できたのですが、そろそろ再調査に入ろうと思っていた矢先に、熊野の映画の実行委員会の方々に先を越されてしまいました。
どうやら95パーセントほどのルートが確認されたようです。
今度GPSを使って測量をする予定で、その時は私もご一緒させて頂くことになってますので、又報告しますね。

先日索道の下の駅周辺を調べていたところ、明治道の入り口がわかりました。
以前の探索で、川沿いに伸びる古い石垣道をレポートしましたが、その道はおそらくきんま道ではないかと思われます。
明治道はそれより少し上をぐんぐん上っていく道でした。
トンネルの土捨て場の途中から確認できます。
この土砂が捨てられたのは2年前でした。
駅の遺構を確認しようと思っていた矢先のことです。
もう少し早く写真などを撮っておけばよかったと悔やまれます。

いずれ全工程のレポートを致しますのでお楽しみに!
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