哀愁の矢の川峠
「矢の川峠(矢ノ川峠)」と書いて「やのことうげ」と読む。私やのこ小僧も地元尾鷲からいろいろと情報発信しまっせ!  【 このページの文章、写真は無断で転用しないでください。もしご利用される場合ははやのこ小僧までご一報を!】

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子供の頃から尾鷲周辺の山々はほとんど登りつくし、あと残っているのは高峰山だけ状態でしたが、ついに念願の高峰山に・・

ふと思いつき、朝方から矢の川峠へハイエースで向かう。
久しぶりに見る山の上での朝焼けはとてもステキ!でした・・
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峠から見た輪内方面(賀田湾?)

AM7:00 矢の川峠着 。
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峠から通称アンテナ山が見える


AM7:21 いつものように「のぶへさんの碑」に手を合わせてからその脇の登山道に入る。
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AM7:35 アンテナ山のピークに着く。
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ここはNHKや各テレビ局、そして国土交通省などのアンテナでいっぱい

この施設のお蔭で矢の川峠尾鷲側の道は常に整備されているんです。

ず~と尾根伝いの道なので、一つのピークに着くと、今度は50m~100m下りまた登るの繰り返し。
せっかく登ったのにもったいない~ 
アンテナ山と古川山の鞍部は少し痩せていて、特に尾鷲側は垂直に切れ込んでいる。
AM8:13 古川山(1030m)頂上に到着。
ここから少し北よりに尾根を下っていく。
今までとは違い下草のない植林された山になる。
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古川山と高峰山の鞍部は切り通しになって左に行くと20分ほどで八幡峠からの林道に下山できる。
ここで古い看板を見つける。
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一部は欠けているが「火の用心 本州製紙株式会社」と書かれているようです
本州製紙は現在の王子製紙です

さていよいよ最後の登りです。頂上手前に大きな2本のヒノキが・・
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すぐそばには病気でしょうか・・ いくつかのコブのついた木が・・
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AM8:46 岩尾根を過ぎるとやっと高峰山の広い頂上です。
所要時間は写真など撮りながらゆっくり歩いて1時間25分。
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ここは年期の入った立派な一等三角点がある。


眺めはほぼ360度絶景なり。
特に大台ケ原から大峰の山々まで紀伊半島のバックボーンがよく見える。
尾鷲の町や天狗倉山は遥か下に小さく見える。
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輪内のほうへ目をやると海が朝日に輝き光っている。
まるで山の上に海があるように錯覚してしまう。
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AM9:45 誰もいない頂上で1時間ほどボケ~としてから朝食を食べて帰路につく。

帰りは1時間15分ほどでAM11:00矢の川峠に到着。

思ったよりなまった体には堪えました。
天狗倉山に登るよりえらかった~ なさけな~

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帰りの昭和道、南谷大橋にて

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以前、峠の茶屋は初代と二代目(のぶえさんの母ひさのさんの茶屋)、そして三代目と大きく分けて三つあったことをお話しました。
初代の峠茶屋の話しはもう少し待っていただくこととして、地元新聞の記事によりますと、実はのぶへさんが茶屋を営む前に、のぶへさんの母、南ひさのさんが茶屋を営んでいたと書いております。
昭和23年ひさのさんが老齢の為、当時43歳ののぶへさんが茶屋の後継者となった、と書いてありました。これが現在よく知られている稲田のぶえさんの三代目峠茶屋です。

のぶへさんは東京に嫁いでいたようですが、29年に夫の孝太郎さんを亡くし一男五女の子供を抱えて尾鷲(山の鼻)に帰ってきました。
茶屋を始めてからは矢の川峠に始発のバスで出向き、最終のバスで帰る毎日でした。
ただ月に2,3日は峠の茶屋に寝泊りしていたようです。
その後茶屋に住み込むようになり、茶屋の商材や水などは、長女のひろ子さんがバスで運ぶ毎日でした。
昭和55年11月29日、七十五歳で他界されました。

のぶへさんの長男の住む名古屋で葬儀をすませ、尾鷲の折橋墓地に埋葬されています。
しかし家族や縁者の人たちが、のぶへさんの矢の川峠への想いを察して何らかの形で峠茶屋跡に分骨してやりたいということで、翌年3月に高さ七〇cmの川石に『冬の日のぬくもりやさし茶屋のあと 稲田のぶへ眠る』と刻んだ石碑を、骨灰の上に安置したのでした。
この句を詠んだのは、のぶへさんの次女、昭子さんの夫の駿雄さんでした。
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私は峠に行くたびにこののぶへさんの碑におまいりします。
そしてこの賑やかだっただろう峠の広場のどこかに、今でものぶへさんがいるような気がします。
生前に会って話をしたかった・・・ そう思う今日この頃なのです。



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