哀愁の矢の川峠
「矢の川峠(矢ノ川峠)」と書いて「やのことうげ」と読む。私やのこ小僧も地元尾鷲からいろいろと情報発信しまっせ!  【 このページの文章、写真は無断で転用しないでください。もしご利用される場合ははやのこ小僧までご一報を!】

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江戸時代 熊野街道《熊野古道》は尾鷲で木本に向かう本街道と、矢の川峠を経て飛鳥、五郷、育生、楊枝を経て直接本宮へ向かう本宮道とに分かれていました。
中世から江戸期にかけて流行った西国巡礼者たちは、伊勢神宮に参拝して一番札所の那智、青岸渡寺に詣でました。
この人たちは殆ど八鬼山道《本街道》を通って木本へと南下して行きましたが、中には尾鷲からいきなり本宮へ行くものもいたようで、その人々は矢の川峠を越えていかなければなりませんでした。


享保六年《1721年》から毎年のように江戸の薬草役人が薬草を求めて、大台ヶ原や尾鷲周辺の山々を探索したようで、その時矢の川峠の南谷、蔭谷などが薬草の宝庫で役人たちは大きな収穫を上げたようです。

紀州藩では砂糖を藩の専売にしており、長島組、相賀組、尾鷲組
の砂糖問屋で売られた砂糖代金は、尾鷲組でまとめられ、矢の川峠を経て、楊枝に合った鉛山役所(カナヤマ)へ届けられました。この金を運ぶ直飛脚には、狼の出没に備え常に2人~3人の付き人を付けました。

矢の川峠の尾鷲側の江戸道ルートは、南谷と蔭谷との出会いから蔭谷をさかのぼり、伝唐超を真っ直ぐ峠へ上るものでした。

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ずいぶん久しぶりに矢の川峠に行ってきました

旧道入り口より、愛車セローにて30分で峠到着。

途中トンネル入り口に先日の大雨による土砂崩れ痕がありましたが、すでに重機できれいに土砂は取り除かれています。
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むしろ前回来た時よりも全域で整備されて、荒れているところはあれど、乗用車でも走行できる状態です。むろんセダンなど車高の低い車は底をこする可能性があります。
峠少し前にハイエースのワゴン車《二輪駆動》が停めてありました。ワゴン車なら楽勝に走破できます。

峠は静かで相変わらずの風景に何故かホットします。
今日はの峠の主「のぶへさん」と一緒にポットに入れてきた麦茶を一杯。
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ふっと下を見ると・・ 大ミミズ発見
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靴の大きさから判断してください。

15分ほどゆっくりとして、帰路につきます。
下りは撮影のため少し止まりましたが、旧道入り口まで25分ほどで降りて来ました。
車だと上り下りはこ一時間はかかります。 やっぱバイクは早い!

やのこへ来る方、道のコンディションは最高です!(やのこにしては)
秋空の下どんどん来てください。
連絡いただければガイドもいたします。《都合付けば・・》

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