哀愁の矢の川峠
「矢の川峠(矢ノ川峠)」と書いて「やのことうげ」と読む。私やのこ小僧も地元尾鷲からいろいろと情報発信しまっせ!  【 このページの文章、写真は無断で転用しないでください。もしご利用される場合ははやのこ小僧までご一報を!】

2007/05 | 12345678910111213141516171819202122232425262728293031

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現在の国道42号線、千尋橋の手前を右に入ると、その道が旧国道42号線である。
今では山仕事や山菜取り、猟をする人くらいしか走らない道。
その荒れ果てた林道同然の道を少し走ると一つ目の橋がある。
その名は「懐古橋」。
どのような理由でこの名がついたのが定かではないが、
この道ができた昭和10年から人や自転車、オートバイ乗用車、そして木材を満載にしたトラックや定期バスまでも通るのを見守ってきた。
70年を経てまだ現役で”橋”を演じ続けているのです。
この後いくつかの橋が出てきますが、昭和道が開通した昭和11年ごろに作られた橋たちは小さくとも存在感がある。
この頃の橋の特徴は、4つの欄干に刻まれた橋梁名がそれぞれ違った文字で書かれている。
写真は懐古橋の峠に向かって右側(1)、左側(2)、そして峠側から見て右側(3)です。
残念ながらもうひとつのものは欠落しております。

(1)「懐古橋」s-2007_0424_154451AA.jpg

(2)「かいこはし」s-2007_0424_154437AA.jpg

(3)あてじで「加い古者志」s-2007_0424_154412AA.jpg

この橋の竣工年月 「昭和十年七月」が刻まれている・・s-2007_0424_154502AA.jpg

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