哀愁の矢の川峠
「矢の川峠(矢ノ川峠)」と書いて「やのことうげ」と読む。私やのこ小僧も地元尾鷲からいろいろと情報発信しまっせ!  【 このページの文章、写真は無断で転用しないでください。もしご利用される場合ははやのこ小僧までご一報を!】

2017/10 | 12345678910111213141516171819202122232425262728293031

ブログ内検索
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ずいぶん久しぶりに昭和道を通しで歩いてまいりました。
きっかけは尾鷲出身のYさんがこのブログをご覧になって、ぜひ矢の川峠へ行ってみたいとメールをくれたのがきっかけでした。
最近私たちが活動を始めた「外遊びぷろじぇくと」という何でもありのグループにも声掛けをして、平日にもかかわらず5名で哀愁の矢の川峠を越えてきました。

DSCN2574.jpg
新緑の荒れ荒れの昭和道をゆく

この季節は新緑がまぶしくて気持ちいいトレッキングが楽しめました。
天気に恵まれ気温も低かったため暑くもなく寒くもなく快適そのもの。
話も弾みます。
DSCN2576.jpg
所々にフジの花が咲く
5人中3人が歩いて峠を越えるのは初めてです。
途中三木里へ続く八十谷林道へ寄って三木里の展望地で一服。
DSCN2577.jpg
たいへいよう~!
その後少し林道から下って矢ノ川安全索道の上の駅跡にもよりました。
002.jpg

遺構を見ながら皆であーだこーだと想像を巡らせます。
まったくもってマニアックな世界が広がります。

さて昭和道に戻りひたすら峠をを目指します。
峠からの展望はこの季節にしてはよく、志摩半島の先端の右横には伊良湖岬まで確認できます。
ゆっくりしてから今度はッ熊野側の廃道に向かって突撃。
DSCN2578.jpg
廃道は歴史と生活感を徐々に自然回帰させる
途中にあるこのルート唯一の国鉄バスの遺構、キロポストは見逃してしまいました。
DSCN2582.jpg
こんなところも多くのバイクや自転車が越えている
熊野側ルートの中間地点に大きな楓の古木が新緑に包まれ存在感をかもし出していました。
DSCN2585.jpg
秋にまた見に来たいですね

いくつもの土砂崩れ跡を乗り越えて、無事車のデポをしておいた大又林道分岐まで歩きとおしました。
皆さん距離は長かったものの数々の遺構や変化のある景色を楽しんでおられました。
18kmほどのロングトレイル、トレラン感覚で走ってもいいですね。
今回は平日だったので次回は日曜日に開催することにしましょう。
スポンサーサイト
この資料は、私が行なっている矢の川峠のツアー『哀愁の矢の川峠」で配布したものです。



昭和に入って尾鷲と熊野の間は乗合自動車と安全索道で結ばれましたが、荷物と人の大量輸送には今だ対応できませんでした。

img010.jpg
矢ノ川安全索道、大橋駅(下の駅

時代は戦争色が濃くなり、本土防衛上からも紀伊半島は重要な地域とされ、有事の時のために矢の川峠の道路改修は早急に実現しなければなりませんでした。

そこで矢の川峠尾鷲側に7、766mの新たなるルートで昭和道の開鑿案が持ち上がりました。昭和9年、安全索道の上下駅に近い大橋と小坪の間で、トンネル5カ所を含む新ルートの開鑿に着工しました。工事は株式会社間組が行いましたが、難工を極め4名の殉死者と二百数十名の負傷者を出しました。昭和11年9月、この新道の開通で、大型トラックやバスの通行が可能となり、物資や人の大量輸送の時代に突入しました。
矢ノ川隧道 建設当時
ループ式の矢ノ川トンネル
yanoko-小西さん0008
開削当時、道の周辺は木々が伐採され見通しが良く、バスの乗客は絶景と転落の恐怖を交互に味わったようです

この昭和道開鑿の偉業をたたえ、昭和15年3月紅葉橋そばの一番難工事に苦しんだ南谷の石壁の傍に「矢ノ川峠開鑿記念碑」が建てられました。この石壁工事で犠牲者が出た為、慰霊碑をかねてここに建設したのではないのでしょうか。

yanoko-小西さん0013
南谷石壁の難工事場所

2007_0424_152828AA.jpg
この碑の書体は第29代三重県官選知事、廣瀬久忠氏のものです



【矢の川峠昭和道開鑿工事概要】

着工 昭和9年9月13日      竣工 昭和11年9月13日
工費 58万円
新開鑿延長 7,766m     有効幅員 3.5m
橋梁    16ヶ所(91m)  隧道   5ヶ所(202m)
道路拡張延長 18,828m
新鑿部平均勾配19分の1     最大勾配15分の1 カーブ最小半径12m
使用火薬 28,455kg
工事延べ人数(新鑿部、道路拡張部合計) 283,340人
以前 「昭和道の開削詳細 その1」で昭和道の開鑿の件をお話しましたが、
今回はその2としまして、開鑿の詳細や当時の竣工式や尾鷲の様子などをお伝えします。

【矢ノ川峠開鑿工事概要】

着工 昭和 9年9月13日      
竣工 昭和11年9月13日
工費 58万円
新開鑿延長 7,766m     
有効幅員 3.5m
橋梁    16ヶ所(91m)  
隧道    5ヶ所(202m)
道路拡張延長 18,828m
新鑿部平均勾配19分の1     
最大勾配15分の1 
カーブ最小半径12m
使用火薬 28,455㌧
工事延べ人数(新鑿部、道路拡張部合計) 283,340人

「昭和11年9月14日 殉難者慰霊、祭山祭に続いて午前11時から竣工式が第一隧道の入口に於いて関係官民列席のもとに荘厳に取り行われた。
式に引き続いて午後1時から、地元協賛会主催の大祝賀会が尾鷲町大鷲館で行われた。
町内は出しものや余興の手踊りで大賑わい。
町民こぞって天嶮の征服と交通文化の進展を祝福した。」

この竣工式には内務大臣と三重県知事の祝辞が読まれたが、この時の三重県官選知事が「富田愛次郎」です。
この「富田愛次郎」は矢ノ川峠隧道のポータルにある銘板に刻まれた文字を書いた方です。


「道路の改良 第18巻 第10号」に矢の川峠の開削工事に関する記事がありましたので抜粋して掲示します。

最初に「北牟婁郡長島町、尾鷲町を経て南牟婁郡木本町に至る府県道津木本線は指定府県道であり南紀地方交通の重要幹線である」とある。
この様にかねてから三重県はこの路線の改良の必要性を認めていたが、工事費の問題などでなかなか着手できなかったようです。

そこに鉄道省から工事費の一部負担の話が持ち上がり、昭和九年六月設計、内務省の認可を受け,更にこの工事費の一部について農村振興事業と国庫の補助を受けて同年九月工事に着手しました。
そして昭和十一年九月、ついに念願の完全自動車道が完成したのです。

工事は間組が行いましたが、矢の川峠7,766mの新路開削は難工を重ね多くの死傷者を出した模様です。
この記事の中で工事を担当した総指揮官上井土木課長、改修事務所長成田技師は、「この二
ヵ年肉を裂かれ、骨を削られる思いを続けて来た」とあります。
またこの記事を書いた作者は次のようにコメントしている。

「私は工事関係者の意思と力と紅の血潮に対して深甚の尊敬と感謝を捧げたい。竣工式の直後、成田改修事務所長を助け直接工事の監督に當られた金澤技手と共に之をドライブすることを得た私は、世人の気付かぬ、技術者の建設の苦労を偲んで涙なきを得なかった。」

それだけにこの道の完成に至っては、工事関係者及び県、そして尾鷲町木本町の喜びは計り知れないものがあったのでしょう。

記事の中に、矢の川八景というものが出てきます。
「皮肉にも難工事に苦しんだ場所程,後世に名畫、名吟を生みそうな絶景が見出されたそうだが、この中特に幽邃壮麗なものに付いて上井土木課長の選になる矢の川八景が生まれた。」
そうして次の8箇所が羅列されている。

1. 三田谷の渓流
  尾鷲町の市街地を離れて最初に迫る風景で矢の川の清流に沿い峠新削部に入る杉橋の林間を縫う箇所で岩魚の背が光る。

2.  南谷の石壁
  花崗岩の岩盤そそり立つ南谷付近で峠の最難関。

3.  瀧見の橋
  瀧と大林と紅葉谷の眺め。

4.  猪おとし
  第一隧道の出口で猪の通る嶮所。

5.  でんがら越
  古い山道跡で翠巒あふるるばかり。

6.  つむじトンネル大景観
  矢の川隧道付近でループ式新開削路が本邦唯一の山道形式を示している、尾鷲湾を望む景観は雄大。

7.  三木茶屋跡
  峠頂上で尾鷲湾、賀田湾を展望する。

8.  ケーブル跡
  ケーブル終点の山上に近く設ける眺望臺で、矢の川の景観を一望のうちに収め得る。




昭和道の開削詳細 その2 につづく・・・
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。