哀愁の矢の川峠
「矢の川峠(矢ノ川峠)」と書いて「やのことうげ」と読む。私やのこ小僧も地元尾鷲からいろいろと情報発信しまっせ!  【 このページの文章、写真は無断で転用しないでください。もしご利用される場合ははやのこ小僧までご一報を!】

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2011年2月27日
第24回 紀伊半島みる観る探検隊「尾鷲の産業遺産・2つの坂下隧道」参加者募集中!


以前レポートした坂下古トンネルのツアーを今月末に行うことになりました。
尾鷲側の廃道部分を少し整備して通れるようにしましたが、今回17名の定員で見学ツアーを行います。
新旧の坂下隧道を通る一周2時間~2時間半のツアーです。
「紀伊半島みる観る探検隊」の募集文をそのまま掲示します。




三重県尾鷲市に知る人ぞ知る貴重な産業遺産がある!!

明治33年に開通した旧坂下隧道は、奈良県上北山村で伐採された天然木を、尾鷲市又口を経て尾鷲港へ運搬するために、当時の林業家有志が中心になって造られた旧車道のトンネルです。
車道と言っても大八車や牛馬車の時代、トンネルは手掘り、道路維持のためにトンネル口で通行料金を取りました。坂下隧道は大変珍しい明治時代の有料トンネルです。
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古トンネル

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現トンネル

国道425号線沿いにある現在の坂下隧道も明治44年開通と古く、どちらのトンネルも文化財・産業遺産として大変貴重なものです。
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現坂下トンネル内

近年、地元有志により崩れていた旧坂下道路が整備されて歩行出来るようになりました。
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明治33年にできた坂下道路跡

尾鷲の産業発展を担った新旧の坂下隧道を、あなたの目で観て、歩いてみませんか。

【主催】くまの体験企画 内山裕紀子
ホームベージが新しくなりましたl http://kumanokodo.info/
〒519-3612 二重県尾鷲市林町9-28
電話090-7865-0771
FAX:0597-22-0471
【後援】尾鷲市




ということで当日は私やのこ小僧がガイドいたします。

詳細は下記サイトからパンフレットをダウンロードしてください。

    パンフレットダウンロード

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わんたろうさん作 
尾鷲紀北の旧隧道シリーズ

坂下隧道 

現在の坂下トンネルとともに旧坂下トンネルを撮っています

この映像では入り口付近が藪や立木、倒木などでかなり分かりにくくなっていますが、
現在は私が伐採、草刈りなどをしてかなりトンネルポータルがよく見えるようになりました。

トンネル内は一部レンガが剥がれおちかけているところがありますが、くれぐれもこれ以上風化が進まないよう、また人的な要因でれんがなどが欠落することのないように祈っております。
坂下トンネルをもっと多くの人々に見てもらいたい!
そういう気持ちが前からあったのですが、賛同者が集まりツアールートとして何とか取り入れられないかという話になったので、一度トンネル周りを除草しルートの危険箇所の修復をすることになりました。
取りあえず今度の水曜日に様子を見に行ってできる事からやって行きたいと思います。

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現在の坂下古トンネル探索

3月4日早朝 
急に思い立って、37年ぶりに坂下古トンネルに行ってきました。
朝飯前のひと運動って感じで出かけたのですが、現状がどうなっているか分らないのでとりあえず行ける所まで行ってみることにします。

尾鷲の町を出てR425を登っていくとヘアピンカーブを曲がると短いトンネルがある。
このトンネルの手前を左に入る林道らしき道が、旧道です。
車はトンネルを抜けた右側のスペースに駐車します。

AM7:54 旧道に入る。
道はほとんど荒れておらず今でも車が入れるコンディション。
旧道入口付近

その後少し荒れてくるがしっかりと補修された後があり、現在でも林道機能は足している。
旧道1
旧道2

驚いたことに路肩の補強を石済みではなく木材を使用して行なっている。
わざわざ石積みみをするより周辺で間伐した木材を使用したほうがはるかに効率的かつ経済的なのですね。

AM8:02  車道が終わる
この先道幅は狭くなり、完全に廃道状態
ところどころ小さながけ崩れが見られる。

AM8:10 最初の沢の一番奥鋼鉄製の小さい歩道橋がかけられている。
これを見てもこの道が現役で重要な機能を果たしていることが判る。

AM8:14 もう一つ小さい沢を回りこむ。
今まで歩いてきた反対側の尾根の上に送電用の鉄塔が見える。

AM8:16 大きな尾根を回り込む
この尾根には鉄塔があり、先ほどの鉄塔から送電線が伸びてきている。
「宮の上 矢の浜線」とプレートが書かれている。
これらの鉄塔のメンテナンスのためこの道はしっかりと整備されている模様。
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鉄塔より尾鷲の町が望めます。
ここから先、道のコンディションは急に悪くなるが踏み後はしっかりしている。
いくつかがけ崩れ跡もあるが容易に通過できる。
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AM8:31 完全欠落箇所に出る
大きく崩落していてわずかに踏み跡だけが残る。
滑落するとしゃれにならないので、慎重にクリアする。
出来ればザイル確保などで安全策をとった方がいいのでは?
この辺がネックになり古トンネルは短命になってしまったのでしょう。

AM8:39 大きな谷をどんどん詰めると、いきなりトンネルは現われた
深いブッシュをかき分けるとトンネルはそこにありました。
トンネルの上部からの崩落は無く、トンネル入り口は非常にクリアな状態。
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とんんる上部のプレートには「坂下隧道」の文字が確認できる。
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トンネル内部に入ってみる。
少しヒヤッとして反対側からの風は、今まで歩いてきた体には心地よい。
尾鷲側入り口【東側】は非常に明るくいが、反対側【西側】は薄暗い。
路面は土砂の堆積も無く、岩盤がが現われている。
トンネル側面や上部はすべて煉瓦積みで、反対側まで続くその様は今でも美しい。
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壁面には左右とも等間隔に照明のランプを取り付けたのではないかと思われる穴が定期的に付けられている。
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トンネルをゆっくりと反対側に向かって歩く。
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西側入り口も大きな崩落はなく50cmほど高くなっている程度。
トンネルはブッシュに阻まれて外見はよく見えない状態。
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こちら側は湿気が多く暗い感じです。
トンネル上部のプレート「
当時の道はトンネルから左側の斜面をゆっくりと下っていく。

AM8:50 トンネルと別れ下り始める
数十メートルで林道に出る。
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ここまでは乗用車でも容易に来ることが出来ます。
林道を下り始めるとすぐに一際立派なひのきがある。 樹齢300年はたっているのではないでしょうか。

AM9:05 林道ゲートに到着
この林道名はは祖父小屋林道で管理者は「三重県治山林業協会」尾鷲市長となっている。
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林道を出ると小さな産廃施設?がある。
その先の小さい沢のそばに、「海軍海防艦 駒橋戦没者英霊」と刻まれた戦争慰霊碑があります。
この山奥になぜ海防艦の慰霊碑があるのか?
調べてみると意外な事実が判明しました。 
詳しくは「知られざる尾鷲湾の激戦」をご覧下さい。
2008_0304_091346AA.jpg

この戦闘で亡くなった一四七名の多くは、この矢所で荼毘に付されたと言うことです。
まさにこの慰霊碑のある場所がその地だったんですね。
今度行ったときはしっかりしっかりと手を合わせてこないといけませんね。


さてその先には危険物の倉庫があります。
きっとダイナマイトでも入っているのでしょう。
映画に出てくる弾薬庫並みの造りです。

AM9:14 R425に出る

AM9:18 現坂下トンネル入り口
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明治44年の竣工 現在も現役でがんばっている長寿トンネルです。
このトンネルは当然歩道が無いので、徒歩で通過するのは本当に怖いです。
今回も大型車が通る合間を縫って、走って通過しましたがまったくもって疲れました。
通過途中で1台ダンプが入ってきましたが、自分が壁になった気分で側面に張り付いていました。

このトンネルは戦争当時には、海軍の爆雷(ドラム缶約350本余り)の保管場所になっていたようです。きっとトンネルは自動車の車幅を残して壁沿いにはずっとドラム缶が並んでいたのでしょう。
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AM9:25 出発地点に戻る

御疲れ様~~
約1時間半の行程でした。












坂下古トンネルのおいたち

日清戦争の後、日本経済の急速な発展に伴い、おもに都市部の建築による木材需要が高まりました。ここ尾鷲でも西方奥地の又口川上流、又口を拠点にして木材の集散が盛んに行なわれるようになりました。
又口では、製材作業、牛馬車や軌道車への積み下ろし作業、伐採植林作業などで常時600人もの人々が働いていました。


明治28年、尾鷲町の林業家たちから、木材搬出のため又口道路【北山道路】の計画が持ち上がりました。
又口から尾鷲までの13kmの道路を造る費用として1万5千円が見込まれた。
最大の難所、梅の木谷上の坂下隧道には4千円の経費が充てられた。
この費用の捻出には、地方税補助や町費補助に加えて有志の寄付金をあてましたが、なお不足の5千円は町債を投入しました。

こうして明治33年3月、坂下古隧道は竣工し、毎日のように木材や木炭を積んだ牛馬車、大八車が列をなして通りました。
坂下隧道0001
竣工間もない坂下隧道、又口側の入り口でトンネルの向こう側は尾鷲

トンネルは維持費に年間300円を要した為、通行料を取る有料トンネルだったようです。

大八車2銭
牛馬車5銭

通常トンネル名が刻まれるはずの扁額には「鬼斧神鑿」【きふじんさく】と彫られています。
鬼神たちが斧や鑿【ノミ】で切り開いた,そういう意味合いがあるのかもしれません。
この文字は当時の三重県官選知事、小倉信近が筆をふるったものです。
坂下隧道0001X1
ポータル中央の扁額に「鬼斧神鑿」の文字が読み取れる
トンネル内に二人の歩荷が写っているが、荷物の多さは半端じゃない、おそらく荷は炭ではないかと思われる


人々のそれほどの思い入れとともに竣工したトンネルも、尾鷲側の弱い地盤による度重なる崩落で通行が遮断されることが多かったようです。
いつしか新トンネルの計画が持ち上がり、明治44年、現坂下隧道の開通に伴い、事実上古トンネルは廃道となります。
そして「鬼斧神鑿」の坂下隧道は、わずか11年でその役割を終え、人々の記憶からは徐々に消え去ってゆきました。

引退後現在までに98年もの歳月が流れたわけですが、トンネルの中に足を踏み入れると今も現役で人や馬車が向こうの入り口から入ってくるかのような錯覚に見舞われます。
トンネル内部全域を丁寧に煉瓦積みした様は、「煉瓦積みのトンネル」という名前がピッタシだと思います。

この悲運な坂下古トンネルをぜひもう一度広く人々に知ってもらうために、私やのこ小僧は有形文化財として登録できないか検討してみたいと思います。
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